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6月4日 コンサート.jpg
6月4日 コンサートチラシ 裏.jpg

チケットはこちらから!!!

★WEB予約・お電話予約 どちらでも受付可★
お電話予約: 0120-240-540*通話料無料
(受付時間 平日10:00~18:00※オペレーター対応)
*カンフェティでの取り扱いは5月25日迄。
 それ以降は
こちらよりお問い合わせ下さい。


六本木ヒルズ51階 ヒルズクラブ
ザ・クラブルームⅠ


お車で来ていただいても駐車サービスがございます。
六本木ヒルズ内駐車場、P3(バレーパーキング)以外が対象です。
詳しくはコンサート当日ヒルズクラブレセプションまで。



プログラム

アンサンブルで聴く 日本の名曲~春夏秋冬~

春 ・荒城の月
  ・花の街
夏 ・夏の思い出
  ・我は海の子
秋 ・赤とんぼ
  ・落葉松
冬 ・雪の降る町を
  ・ペチカ



山田武彦と明珍宏和によるうたの世界

てぶくろ~ウクライナ民話「小さな絵本」より~
さらば我が恋人よ
Chanson



ゲストとおくる オペラの世界

オペラ「ラ・ボエーム」より
なんて冷たい手
ミミ、君はもう帰ってこない…

オペラ「カルメン」より
恋は野の鳥 ~ハバネラ~

諸君の祝杯を喜んで受けよう

オペラ「ナクソス島のアリアドネ」より
先生、お許しください

オペラ「トゥーランドット」より
誰も寝てはならぬ






本当に久々の東京でのリサイタルですので、
コロナ禍ではあるのですが、
出来る限り、派手にできたらいいなと思っております。

今回の目玉の一つがピアニスト山田武彦さん作曲による
歌の世界です。
山田さんは同じ事務所のアーティストということもあり、
毎年たくさんコンサート共演をさせてもらっているのですが、
毎回、山田さん作曲、編曲の曲を歌っておりまして、
その素晴らしさに毎回驚嘆しており、
今回の曲も度肝を抜かれるような曲ばかりです。
共演させてもらっている時に
舞台上で感動に打ち震えているときが何度もあります。
歌うことに集中しろという話なのですが、
ついつい聴き入ってしまうこと多々ありです。
本当に素晴らしいんです。


いま戦争に巻き込まれてしまっている
ウクライナの民話「てぶくろ」から1曲。
おじいさんが落とした手袋に、森の動物達が
一匹二匹と住み込み、最後には何と…!
というようなかわいいお話です。

重厚なヴェルディオペラアリア風に、オフコースの「さよなら」をモチーフに書かれた1曲。
これはとてもすさまじいので是非聴いていただきたいです。

そしてもはや曲名だけでは謎の
「Chanson」。
言葉に書くことができないほど美味しそうなラブソングです。
謝謝。


と楽譜を見ただけで震えるほど感動してしまうほど、
素晴らしい曲を今回もご提供下さいました。
この面白さや感動をお客様と一緒に共有できたらと思っております。


もう一つは
今回は明珍が一人だけですと
オペラの面白さを100分の1くらいしか
表現することができないので、ゲストを2名お招き致します。
メゾ・ソプラノの秋本悠希さんと、テノールの宮里直樹さんです。


秋本さんは本当は今年のはじめに行われるはずだったコンサートで
ご一緒する予定だったのですが、残念ながら中止になってしまい
叶わなかったのですが、
今回改めてお願い致しまして来て頂きます。

日本の唱歌のアンサンブルと
素晴らしいオペラアリアを2曲歌ってくださいます。
クラシックファンでしたらきっと誰もがご存知の
オペラ「カルメン」より”ハバネラ(恋は野の鳥)”
ハバネラというのは「ハバナ風リズム」のことなのですが、
ヨーロッパから中米(キューバ周辺)へ移住した人たちから
生まれたダンスのリズムで、そちらで人気が出たもので、
それがまたヨーロッパへ返ってくるというなんとも面白い歴史のある
リズム、ダンスの一つだと思います。

ビゼーはオペラだけではなく、歌曲も大変美しいものが多く
かなりメロディ職人(人の耳と心に残るようなメロディーを書く作曲家)なので、聴いているだけでその世界に浸れるような
素晴らしい世界に誘ってくれます。

1回聴いただけでは大体どんな曲か忘れますが、
ビゼーはそういった、人の印象に残るようなメロディーをかくということにもこだわっていたのではないかと思います。
しかしカルメンの「わたしに惚れられたら、覚悟しな!」は、
かつてのスケバン刑事「おんしゃら!許さんぜよ!」を
彷彿とさせます(させない)。

余談ですが、小学生の時の校長先生がとっても話が短く、
卒業式などに来る来賓のお偉方の冗長なお話と比べて、
とっても面白い校長先生だったのですが、
退任するとき
「校長先生はただのおじいちゃんになります。終わり。」
と一言だけ言って退任されていました。
この一言でずっと印象に残っているのですから見事ですね。


もう1曲はオペラ「ナクソス島のアリアドネ」より
”先生、お許しください”
こちらはちょっとだけバリトンが入りますので、
明珍も一緒に歌います。

ビゼーがメロディ職人だとしたら、こちらの作曲家
リヒャルト・シュトラウスは和音職人
ということになるかもしれません。
後にも先にも、リヒャルト・シュトラウス程、素晴らしいオーケストレーションを書いた作曲家はいないと思います。

すべての楽器から出る音を完全に把握している、というのは恐ろしい能力だと思うのですが、このリヒャルト・シュトラウスに於いては、その能力を毎回の曲で発揮しているという、素晴らしい作曲家の一人でしょう。

リヒャルト・シュトラウスはオペラ制作においてとてもリアリティを追求しているなぁと思うのが、このナクソス島のアリアドネでも発揮されています。
あとバリトンをよく主役で配置してくれるのは、とても素晴らしいことだと思います(笑)

リヒャルト・シュトラウスは度々、作曲家や、オペラ、舞台にかかわる人間をモチーフにオペラを制作しており、
このナクソス島のアリアドネでもオペラ制作をする人たちの苦悩が随所に描かれています。

私たちはそれが内輪としてわかっているので面白いのですが、
それが内輪受けだけにならないように昇華しているというのがまた素晴らしいところです。

いわば舞台の表と裏を、このオペラで表現しているわけですが、
表の世界はギリシャ劇で、いわゆる昔のよくあるオペラなんですが、その舞台の裏では、これが真面目過ぎてまったく面白くないと、お金を出しているパトロンから言われ、オペラ上演(このオペラの名前が「アリアドネ」)のあとに、喜劇を上演しろということで、
オペラ側のの出演者に、喜劇の役者が意地の悪いことを言われ
大喧嘩が始まり、それを見ていた作曲家(これが今回秋本さんが歌う曲の役です)が、こんな方向性の違う人達とはもう一緒に仕事は出来ない、
と言うわけです。

それをなだめるのが明珍の歌う音楽教師なのですが、この後に
この気まぐれなパトロンから、
オペラの後に喜劇を上演するのではなく、
悲劇喜劇を混合したオペラを上演するように
と言われ、作曲家は更に絶望するのですが、
このバリトンの音楽教師に「まぁまぁそこを何とか」かんとか言われながら、なだめられて何とか気を持たせる訳なんですが、
作曲家の思い描く舞台の熱量と、喜劇役者側の熱量の違いに、
何だかこの作曲家は騙されてしまったような感じに陥ってしまうわけですね。

それでオペラは先へ進んでいくのですが。
この曲はそこのシーンの曲でございます。

音楽教師になだめられたりしながら、
何とか気を持たせたところで
「先生、困らせて悪うございました!今は全く違う気持ちで書くことができそうです!世の中は言葉だけでは語りきれません。勇気ある者にとって、世界は決して怖いものではありません。では音楽とはなんぞや…。音楽とは神聖な芸術であり、数多ある芸術の中で最も神聖なものです!」
と作曲家が心の内を歌うのですが、
まさにこれはリヒャルト・シュトラウスの理念なのではないかと思います。

台本のホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスはいわゆるマブで、最高の同志なわけです。
その全て通じ合っている同志は、言葉のスペシャリストな訳ですが、
ホフマンスタールを持ってして「言葉だけでは語りきれない」
「音楽は数多あるの芸術の中で最も神聖なもの」と書いた訳です。

それほどリヒャルト・シュトラウスの音楽へかける情熱やその他諸々が、外部の人間への影響力があったということの現れなのではないかと思います。
秋本さんにぴったりの素晴らしい曲ですので、わたしも聴くのが楽しみです。


メゾ・ソプラノというのはバリトンと同じように低中音域
​なのですが、カルメンは主に低音域、
​作曲家の役は低中高音域とものすごく幅が広い、
歌うということだけでも両方大変な役なのですが、
秋本さんは一体どこからこんなにと思うほど声が響くんですね。

それで今度は声が響きすぎると
言葉が不明瞭になってきたりするのですが、
その辺が秋本さんは達人で、ものすごくうまいんですね。
なおかつ、歌い方がまたとても心を揺さぶってくるんです。

勝手な偏見かもしれませんが、中低音域の方々でよくあるのが、
(自分自身でもこういう事が多々あります)
声の響きに頼り切って(いわゆるいい声で歌って)、
音楽をするというよりも一本調子に歌い切る、という演奏を散見
散聴するのですが、秋本さんはものすごく彩り豊かに歌って
悲喜交交の心地よくなるような音楽を奏でられています。

またいろんなジャンルの曲をYouTubeやコンサートなどで
ご披露されているんですが、聴いていてとにかく惹きつけられます。
それこそ言葉では語りきれない素晴らしさですね。
是非その素晴らしさを体験しに来てくださればと思います。



そしてもうお一方、
テノールの宮里直樹さんに歌っていただきますのは、
日本の唱歌のアンサンブルと、
オペラ「ラ・ボエーム」から2曲。

宮里さんは去年、日生劇場2021のオペラ公演
「ラ・ボエーム」で主役のロドルフォ役を演じており、
わたしはその友人、絵描きのマルチェッロ役の
アンダーで入っていたのでほぼ毎日、
宮里さんの歌を聴いていたわけです。
御本人にも言ったのですが、
毎回の練習でもう本当に寒気がするほど感動してしまい、インフルエンザかコロナになったのではないかと勘違いするほど、宮里さんのロドルフォに身震いをしていました。

また宮里さん組のマルチェッロ役がバリトンの今井俊輔さんだったので、まぁ~尋常じゃないほど素晴らしく。
このお二人の歌とやり取りがまぁもう面白いわ泣けるわの
本当にすごいものを毎回観させてもらっているなと、スタッフだということを忘れて感動しっきりで、音楽っていいなぁと、久々に心から思いましたね。
今の日本のオペラ界はすごいですよ、本当に。
こういう世界レベルの人たちがいっぱいいるんです。

そんな宮里さんにお願いをいたしまして歌っていただきます。

ラ・ボエームは原作者ミュルジェールの思い出をベースに
書かれた小説なので、家賃が払えなくて管理人が取り立てに来て、話をそらし煙に巻いて管理人を部屋から追い出して、その部屋に住んでいる男連中みんなでクリスマスパーティーへ出かける、等、とても生活感のある(笑)お話で、とても面白いのですが、
最後にはヒロインであるミミが死ぬ、という結末になっているので、
その落差たるや、とてつもないオペラです。

こちらを作曲したプッチーニはリヒャルト・シュトラウスより少し前の時代に活躍していた作曲家ですが、イタリア・オペラというと
ドニツェッティ、ヴェルディに代表されるような、メロディ(歌)重視の構成で、オーケストラは音に幅があっても、和音構成的には少し単調で寂しい感じ、というものが多かったわけですが、
このプッチーニにおいては、素材の良さを活かすようなイタリアの作曲家らしからぬ(という表現であっているかどうかはわかりませんが)音のこだわりというか、和音のこだわりを感じます。

テーマになる和音が響き、その中でまたテーマになる旋律が動いていくというライトモティーフのようなものも多用されており、
誰がそこにいるかとか、あ、これは誰のテーマだな、とかいうのが聴いていてわかるので、そこにそのテーマになる人物がいなくても、あ、この音楽がなっているということは、ここはその人のことを考えたり、表しているんだな、というのを音楽からも知らせてくれるという、オペラの劇性を1つも2つも高めてくれる、そのような工夫がされています。

また異常なほどに台本構成にこだわった作曲家で、関わる台本作家が匙を投げたくなるほど大喧嘩をしていた(直接連絡を取るのを禁じられるほど)ほどのこだわり様だったそうです。

苦労して考えた(何ヶ月も打ち合わせをして出来上がった)台本が全部ボツとか、お話の構成の軸になるような台本部分も、それは音楽で説明できるからボツ、とか、
例えばショナールという役がおりまして、本来は4幕でショナールのアリアを入れるという予定で台本作家は構成していたのですが、
「ショナールはもう充分(そのアリアを入れると鬱陶しくなる)」という理由で、その部分を全部カットし、それに変わる言葉として入れたのがショナールに対して男連中が「BASTA!(もう充分)」、「FIACCO!(ぶっ殺せ)」、「LEVA IL TACCO!(消え去れ)」ですから、それは怒るだろうなぁと思います。

そういった熱量もあって、とても面白いオペラなのですが、
とにかく音楽が美しい。この音楽を聴かせられては台本作家も納得してしまうと思います。

太陽の光の爽やかさも、雪が深々と降る様子も、ミミが息を引き取るその瞬間も全て美しいです。
だからなのか、聴いていて本当に色々と思い出してしまって、亡くなった友人のことを毎日思い出しては、その時のことを懐かしく、なんとも言えない気持ちになっていたのですが、何だか毎日その友人に会っているような、そんな錯覚さえも懐きました。
すごいですね音楽っていうのは。

そんな「ラ・ボエーム」から、
ロドルフォのアリア「冷たき手を」
テノールの歌う名曲中の名曲だと思います。

オペラの中では一息する間もなくこの曲を歌わないといけないので、大変だなぁと思うのですが、宮里さんは毎回しっかり歌って、僕は毎回しっかり感動してました。

ヒロインであるミミが蝋燭の火が消えてしまったと
わざわざ屋根裏部屋のロドルフォ達の部屋に訪れます。
それで火をもらうのですが、ミミの儚げな姿にロドルフォは一目惚れちゃうわけですね。
そんな最中、ミミが今度は鍵を落としたといいます。
暗いのに、しかも自分の部屋の前でもないのに、なぜ鍵を落とすんでしょうか。
またその最中、隙間風で蝋燭が消えます。
ロドルフォの蝋燭も火が消えます。
ふたりともタイミングが良すぎます。

そんなぷふふ要素が満載なこの真っ只中に、ロドルフォがドサクサに紛れてミミの手に触れます。
とっても寒いので、ミミの手が冷たいことに驚きつつも
「なんて冷たい手だろうか、僕に温めさせて下さい。」と手を取り、自分は詩人であり、物を書いて生活しているんです。と語ります。
「貧しさの中にも生きる希望はあるんですよ。」とここまではだいたい分かるのですが、ここからが詩人の本領発揮で
「あなたの美しい瞳、その2つの盗人に僕の心は全て奪われてしまった。でも盗まれたって僕は気落ちしません。代わりに甘い希望を置いていったのだから!」と歌います。
さっき会ったばかりなのに熱いですよね。

これがイタリアっぽいのですが、音楽が柔らかいので直接的な感じがせず、バランス的にはとてもちょうどいい感じに聴こえるのが不思議だなぁと思います。
そんなテノールの名アリアを1曲。

もう1曲は4幕の重唱、「ミミ、君はもう帰ってこない、あの美しかった日々…」を一緒に歌います。
3幕で2幕までアツアツだったミミとロドルフォは「暖かくなったらお別れしましょう」とお別れをします。
マルチェッロもまた、
恋人のムゼッタとそこでお別れをするわけです。
4幕に入り、ミミが、ムゼッタが
あそこでどうしてたああしてた、らしいよ。
と二人で軽口を叩きあうところから始まります。
そんな事を話す内に思い出の品がひょいっと出てきて、
仲が良かったあの日々のことを二人して
「君(ミミの帽子)は枕の下にそっと隠れていたから知っている。あの幸せな日々を。僕の胸においで!愛は死んでしまったのだから。」
「天や地、春や冬を描きたいと思っても、気がつけばいつもあの2つの目と唇を描いてしまう。俺の心は未練がましくあいつを待っている。」と思い返すわけです。

ここの音楽が本当に素晴らしいんです。
なんて素晴らしい作品をこの世に残してくれたんでしょうか、と驚嘆しきりでした。

宮里さんの、聴いている人の心をわっと掴んでいくような
その素晴らしい歌唱に、酔いしれて欲しいと思っております。
​多分わたしが一番酔いしれてしまいますがハハハ。


そんなこんなできっと素晴らしいコンサートになるだろうなぁと、まるで他人事のように思っておりますが、頑張って楽しんでいただけますように準備をしてまいります。

コロナ禍で日々の生活は本当に大変だとは思うのですが、
少しでも息抜きに、美味しい食事と胸いっぱいに味わえる音楽を
堪能しにお出かけしていただけましたらと存じます。

もちろん感染対策はしっかりしてございますので、
安心しておでかけ下さい。

皆様のご来場を、心よりお待ちしております。

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